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(2002/7/31) … 国家ナノテクノロジー・イニシアティブ … ワシントン事務所 原子や分子レベルでの構造制御が科学や技術にもたらす莫大な可能性を認識し、ナノ科学・ナノ工学という概念を初めて理論化したのはノーベル賞受賞者のリチャード・ファインマン博士で、1959年のことであった。「ナノテクノロジー」という用語が初めて使用されたのは、1986年に出版されたエリック・ドレクスラー著の「Engines of Creation (邦訳:創造する機械 ナノテクノロジー)」においてで、自己組織形成 (self assembly) の概念を述べた同書がナノテクノロジーへの関心を高めることになった。米国では、民間企業、大学、および、一部政府機関が過去数十年間、各々にナノテクノロジー研究を行なってきたものの、こうした研究開発 (R&D) 努力を国家レベルで進めていくための戦略を欠いていたため、1990年代には同分野で日欧に遅れをとっていることを懸念する声が聞かれるようになった。こうした状況下で、クリントン前政権はナノテクノロジーの膨大な経済的ポテンシャルを認め、2001年度予算において「国家ナノテクノロジー・イニシアティブ (National Nanotechnology Initiative = NNI)」を国の重要な科学技術戦略の一環として設立したものである。ブッシュ政権もクリントン前政権のNNIを踏襲し、2002年度および2003年度のNNI予算を大幅に増額している。ここでは、ワシントン事務所リサーチャーDouglas Heimのメモに基づき、米国政府の唯一の包括的ナノテクノロジー政策といえる国家ナノテクノロジー・イニシアティブが成立するに至った過程、および、イニシアティブの概要について報告する。
国家ナノテクノロジー・イニシアティブ(NNI)の来歴 1991年からナノテクノロジーの研究と基盤整備に対する投資を拡大していた全米科学財団 (National Science Foundation = NSF) は、国家ナノ加工利用者ネットワーク (National Nanofabrication Users Network = NNUN) を形成するため、1994年に米国5大学と提携を結び、@コーネル大学ナノ加工施設;Aハワード大学材料科学研究センター;Bペンシルバニア州立大学ナノ加工施設;Cスタンフォード大学ナノ加工施設;Dカリフォルニア大学サンタバーバラ校ナノテク電気・コンピュ−ター・工学施設という5センターを創設した。ホスト大学とNSFの共同出資で創設されたNNUNの目的は、ナノテクノロジー研究を自ら行なうことではなく、ナノスケール研究用の多数のツールや装置を使用できる施設を民間部門・大学・政府の研究者達に提供することであった。また、1990年代半ばからは、国防省とエネルギー省 (DOE)を筆頭に、商務省・米航空宇宙局 (NASA)・運輸省といった幾つかの連邦省庁もナノテクノロジーR&Dプログラムへの投資を行なうようになったが、ナノテクノロジーR&D努力を調整・組織化しようという動きには至らなかった。 連邦各省庁のナノテクノロジーR&D活動を調整する努力が始まったのは1996年11月のことで、各省庁を代表するスタッフが、ナノスケール科学・技術に関する計画やプログラムを討議するため、定期的に集まるようになった。この非公式会合は1998年9月まで継続されたが、同月、ナノ科学・工学・技術に関する省庁間作業グループ (Interagency Working Group on Nanoscience, Engineering and Technology = IWGN)と命名され、ホワイトハウス科学技術政策局 (Office of Science and Technology Policy = OSTP) の国家科学技術会議 (National Science and Technology Council = NSTC) 技術局 (Office of Technology = OT) の下に公式に創設されることとなった。IWGNは、ナノテクノロジーに携わる各省庁の代表者、ホワイトハウス代表者、民間部門代表のヒューレット・パッカード社R. S. Williams氏、および、学界代表のカリフォルニア大学バークレー校のPaul Alivisatos博士で構成され、議長にはNSFのM. C. Roco博士が任命された。当時のナノテクノロジーR&Dの現状を査定評価して、産官学におけるナノテクノロジー投資戦略を策定することを目的としたIWGNは、一連のワークショップや会合を開催して、大学や民間部門の代表者および科学者から広く意見を聴聞した。IWGNの調査結果は1999年に、「ナノ構造科学技術 (Nanostructure Science and Technology)」と「ナノテクノロジー研究指針 (Nanotechnology Research Directions)」という2冊のレポートで報告されている。前者は、世界各国のナノスケール科学技術研究所を訪問した専門家パネルの調査結果をまとめたもので、後者は、ワークショップや会合に参加した学界・民間部門・政府代表者の意見を取り入れて産官学に対する一連の提言を提示したものである。「ナノテクノロジー研究指針」に盛り込まれた提言は下記の通り: 学界への提言:
民間部門への提言:
連邦政府への提言:
IWGNの「ナノテクノロジー研究指針」は先ずOSTPで見直しを受けた後、民間部門の著名メンバーから成る大統領の科学技術諮問委員会 (Presidentユs Council of Advisors on Science and Technology = PCAST) において検討され、そこで圧倒的な支持を獲得した。クリントン政権は、同報告書に基づいて策定した「国家ナノテクノロジー・イニシアティブ:次の産業革命を目指して (The National Nanotechnology Initiative- Leading to the next Industrial Revolution)」を2001年度予算要求の一環として2000年2月に議会へ提出したが、これは、産官学が一丸となって追及し、生み出した政策であると言える。
国家ナノテクノロジー・イニシアティブ(NNI)の概要 1. 管理運営: IWGNはNNIの設立後、連邦各省庁のナノスケールR&Dプログラムの調整を担当する目的で、NSTCのOTの下にナノスケール科学工学技術小委員会 (Subcommittee on Nanoscale Science Engineering and Technology = NSET) として再編成されている。NSETの構成メンバーは、NNIに携わっている政府6省庁の代表者とOSTP幹部で、NNI参加省庁の中からOTによって指名された代表者とホワイトハウス国家経済会議 (National Economic Council = NEC) の代表者が共同議長(注1)を務めている。参加各省庁は、NNIを総括的に調整するNSETにR&Dプロジェクトについて助言を求めるものの、プロジェクト案の募集や選定を独自の方法で行なうほか、NNIプロジェクトへの予算配分に関する権限を維持し、更には、自らの行政実績成果法 (Government Performance and Results Act = GPRA) 政策に従って自省のNNI研究活動を査定評価することになっている。つまり、国家レベルのイニシアティブを調整するNSETの下で、各省庁がNNIの目標に適いつつも自らのミッションに適応したR&Dプロジェクトに投資することの出来る柔軟性を残した管理運営システムが整えられていると言える。 また、NSETを技術面・管理面で日常的に支援する事務局として、全米ナノテクノロジー調整局 (National Nanotechnology Coordination Office = NNCO) が創設されている。NNCOは、省庁間プロジェクトの企画、および、予算・プログラム査定書類の準備でNSETを支援するほか、ナノスケール科学技術の研究・開発・商業化に関する業界・州政府・他諸国の活動について情報の収集・流布を担当している。
2. 予算とイニシアティブ概説: クリントン大統領が、2001年度予算案でナノテクノロジーR&Dに前年度比83% (2億2,500万ドル) 増の4億9,500万ドルを計上した時には、NNIの対象機関は、NSF(注2)・国防省・DOE・国立衛生研究所 (National Institute of Health = NIH)・NASA・国立標準規格技術研究所 (National Institute of Standards and Technology = NIST) の6省庁であった。しかし、2001年1月には、環境保護庁 (EPA)・司法省・運輸省・農務省・国務省・財務省の6省庁もNNI実施機関に追加されている。2001年度から2003年度までの省庁別NNI予算は下記の通り: (単位:100万ドル)
NSETは創設直後に、NNIの実施政策を検討する作業に着手し、「国家ナノテクノロジー・イニシアティブ:先導策と実施計画 (National Nanotechnology Initiative: The Initiative and its Iimplementation Plan)」(注4)を作成、2000年7月に同報告書を発表した。NSETは、NNIを5つの支援テーマの下に分類・整理し、テーマ毎に特定目標とその達成方策を論じている: A) 基礎研究 … 多分野でのブレークスルーに繋がるナノ科学・ナノ工学について根本的知識を蓄積することを目的とする。重点投資分野は、@バイオナノシステム;Aナノスケール構造と量子制御;Bナノデバイスとシステム構成 (system architecture);Cナノスケール現象が環境にもたらす影響;Dナノスケールのモデリングとシミュレーション。支援対象は主として、大学、小グループ、または、個人研究者の行なう長期的基礎研究で、典型的な支援額は20万ドルから50万ドル。NSFグラントが最大の資金源となるほか、DOE・国防省・NIH・NASAも自省のグランド・チャレンジに特有の基礎研究問題に投資を行なう。 B) グランド・チャレンジ … ナノスケール科学技術の進歩には、下記の9項目のグランド・チャレンジが不可欠である: @ ボトムアップのナノ材料組立 … 鋼鉄より強靭で紙より軽く、磁性や電導性に優れ、溶解点が高いほか、周囲環境の変化にも対応可能な新型材料の開発・製造を支援する。これを実現するためには、原子レベルまたは単一の分子レベルでナノ構造を設計・操作することを学ぶ必要がある。個人研究者による小プロジェクトが主流となるが、高額な設備に資金投入するセンターも必要となる。6省庁が関与するが、最大貢献機関は、国防省・DOE・NIST・NASA。 A
ナノスケールのエレクトニクス・オプトエレクトロニクス・マグネティックス
… B 最先端保健・診断・治療 … 医療分野の進歩のため、(i) 疾病の早期発見・治療に貢献する、ナノテクノロジーを利用した先端イメージング技術や体内埋込み用センサーの研究開発;(ii) ナノ粒子でコーティングした人工臓器や臓器介助装置の研究開発;(iii) 投薬や遺伝子治療に使用するナノ粒子の研究、等を支援する。NIHが中心となり、NSF・国防省・NASA等、他省庁との協力を図りつつ進める。 C 環境改善の為のナノプロセス … (i) 原子や分子の大きさや特定の幾何学的構成が、ナノスケール粒子と基質 (substrate) の相互作用に与える影響の研究;(iii) レーザーピンセットやシンクロトロン放射光といった最新型実験技術を利用して、ナノ粒子内またはナノ構造の表面で生じる環境プロセスの研究;(iii) 蛋白質沈殿や汚染物質脱着といった重要プロセスにおけるナノ構造の役割の研究、等を行なう。DOEとNSFが他省庁と協力して進める。 D エネルギー変換・貯蔵の効率化 … 照明器具のエネルギー効率改善や軽量材料の強度改善、特に、太陽エネルギーや燃料電池の変換率の倍増を目指す。(i) 太陽エネルギーの電気変換率を向上させる革新的アプローチの研究;(ii) 炭化水素エネルギーの熱エネルギー変換率を向上させる触媒の研究開発;(iii) 熱電気・磁気冷却用のナノ構造材料の研究開発;(iv) 放射能への抵抗力が強いナノ構造材料の研究開発、等に重点投資を行なう。DOEがリード機関となり、NSF・NASA・国防省・NISTと協力して進める。 E 小型宇宙船による宇宙探査 … ナノテクノロジーにより、宇宙船の大きさとエネルギー消費を10分の1に削減することが可能である。(i) 望遠鏡・アンテナ・ソーラーセイル等の作製に必要な、超軽量で強靭なナノ構造材料の研究開発;(ii) 宇宙探査に不可欠な情報管理技術能力を向上させるナノエレクトロニクスの研究開発;(iii) 変化する環境やミッションのニーズ変更に宇宙船が自己対応する生物擬態システム (biomimetic system) の研究開発に重点をあてる。NASAのほか、国防省・NSF・NIHが参加する。 F バイオナノセンサー … エイズ・結核といた伝染病や化学細菌戦を迅速に探知・発見するデバイスの開発を目指す。(i) ナノ機械システムの開発;(ii) ミクロ電子機械システムの超小型化;(iii) 無機物エレクトロニクスと生物分子システム (biomolecular system) の間で生じる情報移転の研究、等を重点支援する。バイオナノデバイスの研究開発には、生物学・物理学・マイクロエレクトロニックスを始めとする多様な研究分野の緊密な協力が必要であり、NIH・国防省・DOE・NSFが協力して進める。 G 経済的で安全な輸送技術への応用 …ナノテクノロジーは21世紀の輸送技術の進歩に欠かせないツールとなる。ナノ構造材料を使用した軽量かつ高性能の自動車、保守の不要な道路、腐食の生じない橋といった広範なベネフィットが想定される。DOE・運輸省・NIST・NASA等が、運輸関連の材料および製造技術の開発を行う。 H 国家安全保障 … 所要軍人数と防衛コストを削減すると同時に、軍隊の即応能力を維持・拡大出来る技術の研究開発を目標とする。国防省が、(i) 防衛目的のナノエレクトニクス・オプトエレクトロニクスの研究開発;(ii) 高性能ナノ構造材料の開発;(iii) バイオナノデバイスの研究開発に重点投資を行なう一方、DOEは核兵器ストックパイルの履行・診断・長期老朽要素を重点研究する。NSFとNIHも協力。 C) 優良センターと優良ネットワークの構築 … ナノテクノロジーR&Dに必要な機器の開発、および、産官学パートナーシップの推進を支援するため、優良センター (Center of excellence) と優良ネットワーク (Network of excellence) を10ヶ所設立する。各センターやネットワークへの支援は5年間契約で、支援金は年間約300万ドル。中間レビューの結果により、1回限りの5ヵ年更新も可能である。基礎研究、グランド・チャレンジ、科学者・エンジニアの教育というNNIの優先事項において重要な役割を果たす優良センターと優良ネットワークの構築には、6省庁が参加する。 D) 研究基盤整備 … ナノレベルの研究には新しい研究ツールの開発が必要である。NNIでは、@計測基準 (Metrology);A研究機器 (instrumentation);Bモデリングやシミュレーション;Cユーザー施設といった研究基盤の整備を支援する。計測基準に関してはNISTがリーダー機関として他省庁と協力しながら、ナノデバイスやナノ操作といった分野における必要不可欠な測定法・基準・データを策定する。研究機器そしてモデリングやシミュレーションに関しては、NSF・国防省・DOE・NASAが協力して開発を行なうほか、ユーザー施設に関しては、NSFの大学をベースとしたユーザー施設と連邦政府研究所が中心となり、NNI参加全省庁と協力してユーザー施設の整備を進める。研究基盤整備の究極目標は、米国産業界による迅速な商業化を可能にするような技術革新である。 E) 倫理的・法的・社会的意味および労働者の教育・訓練 … ナノスケール科学工学の急速な進歩についていくために必要な学際的視点を持った熟練労働者や科学者を育成していくことを目的とする。NNIに参加する6省庁が協力するが、主にNSFが中心となる。同テーマにはまた、ナノテクノロジーが社会にもたらす肯定的・否定的な影響の調査も含まれる。 2000年度から2003年度までの支援テーマ別NNI予算は下記の通り: (単位:100万ドル)
米国のナノテクノロジー政策は、1998年9月のIWGN創設とともに策定プロセスが始まった。比較的短期間で作られた政策であるにも拘わらず、完成したNNIは熟考され工夫されたものとなっている。策定プロセス開始当初から、産官学の各利害関係者の見解や優先事項を拝聴したことが、連邦省庁、民間企業、および、大学の各々のナノテクノロジー戦略・政策をNNIという一つの国家政策に体系化することを可能にした要因であろう。NNIは基礎研究を重視し、ナノテクノロジー研究への投資拡大を目標としているが、ナノテクノロジーの商業化への道のりがまだ遠いことを考慮すれば、これは現時点では、的確で妥当な政策であると言えよう。
注1:現在の省庁代表議長はNSFのRoco博士で、NEC代表の議長はThomas A. Kalil氏。 注2:NSFが同イニシアティブのリード機関。 注3:農務省・国務省・運輸省・財務省への予算は、2001年度と2002年度の数値には含まれていない。 注4:同報告書は、クリントン前大統領が2001年度予算要求の補足資料として2000年2月に議会に提出した「国家ナノテクノロジー・イニシアティブ:次の産業革命を目指して」をベースにしている。 Top Page |